イワキ創業40周年の社史をもとに、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマをお伝えしていこうと思っています。

“イワキマン”の粘りと押しで、ついに大手自販機メーカーと契約!?

ケミカルポンプメーカーとして小さな一歩を踏み出したイワキが、最初にまとまったご注文を頂いたのが、ジュース自販機向けに出た樹脂製の渦巻きポンプ「ラボポンプ(LP-1)」でした。

当時のジュース用自動販売機というのは、現在のような缶入り飲料の自販機ではなく、コインを投入してボタンを押すと、紙コップにジュースが注がれる機械でした。

ジュース自販機のイラスト

装置の上にある透明のアクリル製ドームにジュースを噴水のように吹き上げて、清涼感をアピールしていたわけですが、名古屋の自販機メーカーが最初に世に出したジュース自販機は、またたく間に全国へと広がっていきました。

自販機の“ジュースを吹き上げる部分”に使われていたのはもちろんポンプでした。
この情報をつかんだイワキは、さっそく全国への売り込みを開始しました。
当時の営業担当は、初めて自社開発したケミカルポンプ「LP-1」の塩ビ試作サンプルを持ち、日本中の自販機メーカーヘの訪間に明け暮れたものでした。

ポンプメーカーとしてのネームバリューどころか、会社としてもほとんど無名に近いイワキの営業は、決して楽ではありませんでした。
最初は大手の機械メーカーからも、ほとんど相手にされませんでしたが、粘りと押しと製品ヘの自信で、ついに認められる日が来たのです。

そしてまもなく、大手メーカーとの契約成立をきっかけに、「LP-1」は量産体制を取り、ついに成型化される運びとなりました。

“高い授業料”がその後の自信に

しかし、世の中そう甘くはないものです。一世を風靡したジュース自販機のブームもすぐに去り、乱立した自販機メーカーの倒産が相次ぎました。
イワキも回収に走り回ることになりましたが、最終的には未回収金を残してしまうことになります。

「LP-1」で売り上げを伸ばし、年商1億円を上げていた時代に、500万円ほどのこげつきを出してしまうのです。
このことを教訓として、その後のイワキは取引き相手の信用調査を慎重に行うようになりました。

しかし、この時“高い授業料”を払ったおかげで、その後の貸し倒れ件数は、イワキの企業としての規模からみて非常に少ないものになっています。

苦い思いもさせられましたが、この「LP-1」のおかげでイワキは企業として力をつけ自信を得ました。特に、大手に採用されたということは、一流メーカーから「お墨付き」をもらったようなものだからです。

イワキ、初めての宣伝作戦開始!

その自信を持って、イワキは展示会での宣伝作戦はじめます。1963年(昭和38年)には、初めてケミカルポンプの新聞広告を出し、日本化学会付設展示会へも初出展を果たしました。

どちらも「イワキケミカルポンプ」と大きく銘打って、社名を覚えてもらい、ケミカルポンプという名前を広めようとしていたのですが、それからのイワキは「展示会荒らし」と言われたほどのPR作戦で、ケミカルポンプのイワキ」を業界ヘアピールしていきました。

初めての展示会となった「日本化学会展」で 1963年(昭和38年)
全国理化学機器展で 1963年(昭和38年)

果たしてこの作戦は凶と出るか吉と出るか・・・

製品に関する情報

カタログ、資料ダウンロード

製品資料データ、カタログ、取扱説明書を会員サイトからダウンロードできます。

イワキのサポート
よくあるご質問、各種お問い合わせ、製品メンテンナンス動画など、イワキ製品のサポートについてご紹介します。