イワキ創業40周年の社史をもとに、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

1967年 初の貿易部を設立

前回は、イワキの販売網が日本全国に広がったところまでをお話しましたが、今回からはその視点を海外に向けてみましょう。

イワキは理化学機器の商社だったころから、技術や市場の情報を、日本国内に限らず、海外からも収集する習慣がありました。それはほとんど社長である藤中の仕事ではありましたが、業界雑誌を取り寄せては、ケミカルポンプの関連記事や新素材の情報に目を光らせていたのです。

藤中は独自の勘で、たくさんの情報のなかから「これは」と閃くものを見つけると、資料やサンプルを取り寄せ、アイディアの源にしていました。海外の雑誌を集めたり、ごくまれに飛び込んでくる輸出の引き合いに応えるのも、社長の藤中自らが企画課のスタッフに指示して行っていました。

名実ともにケミカルポンプのメーカーとなり、販売体制も生産体制も整ってきた1967年(昭和42年)、新たに貿易部が設立されました。貿易部の担当となったのは、1964年(昭和39年)に入社した樋口公康でした。

1967年(昭和42年)当時の世相
重大ニュース
小笠原諸島返還決まる/佐藤榮作首相「非核三原則」を表明/吉田茂元首相が89歳で死去/美濃部東京都知事初当選/欧州共同体(EC)成立/東南アジア諸国連合(ASEAN)設立宣言
物価
【交通】都バス 30円 地下鉄最低料金 30円
【飲食】大びん 125円 牛乳 21円 かけそば 60円
【その他】公衆浴場料 32円を都が認可
新商品・ヒット商品
リカちゃん人形 750円(タカラ)
IC電卓(早川電機=現シャープ)
男性用化粧品「MG5」(資生堂)
話題
ミニの妖精、ツイギー来日/首都高速・芝公園~霞ヶ関区間開通/都心環状線完成/横綱大鵬が挙式/大阪・阪急千里駅に自動改札第1号機設置

売上げゼロの貿易部

貿易部開設にあたり、貿易実務は勉強すればよいですが、輸出を推進するには何をすればよいのか・・・考えあぐねた樋口は、まずは大手商社と契約するのがてっとり早いだろうと、丸紅や三井物産クラスの大手商社を訪問することから始めました。

LP-1やダイヤフラムポンプ、ベローズポンプの説明をしましたが、ケミカルポンプというものが理解されにくいうえに、英文カタログも作っていないなんてと、けんもほろろの扱いを受けてしまいます。では、次になにをすればよいのか・・・皆目見当がつかず樋口は困り果てていました。

国内の営業はケミカルポンプ中心に体制が変わり、どんどん売り上げを伸ばしているのに、貿易課は報告するものがない・・・担当の樋口にとってはつらい時代でした。受注といえば、プラントや装置に組み込まれて輸出されたポンプの交換用としてくらいなもの。売上げゼロが続くと、週1回の営業会議にも胃の痛くなる思いで出席していたようです。

困り果てていました

しかし、売上げが上がらないからといって吊るし上げられることはなく、社長の藤中も当時国内営業課長だった上條もじっと黙って見守っていました。だからよけいに申しわけなく思った樋口なのでした。たまらず弱音を吐いたこともありましたが、上層部は「おまえに任せたのだからおまえが開拓しろ!」の一点張り。そこがなんともイワキらしいと言えばイワキらしいのですが・・・
この続きは次号のお楽しみということで。

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