イワキ創業40周年の社史をもとに、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

「Achema(アヘマ)」出展で得た確かな手応え

前回は、イワキ貿易部が海外の展示会に出展し始めた頃のお話をしました。ケミカルポンプのイワキにとって、最も重要な見本市のひとつである「Achema(アヘマ)展」に出展を果たしたのは、1976(昭和51)年のこと。アヘマ展は、3年に1度ドイツのフランクフルト市で開催される化学工業機器展ですが、この展示会で、かなり確かな手応えを感じることができたのです。そして、この出展をきっかけに、「世界中にイワキのケミカルポンプを!」という具体的な夢に向かって、いよいよイワキは本格的な活動を始めることになりました。

この時期、次々とできる国内各地の営業所と競うように、この後国外でも, ヨーロッパから、アジア、アメリカヘと代理店網を広げていくことになるのですが、そもそも、「液洩れしないポンプ」というユーザーの要望に応えて、1967(昭和42)年にイワキが国内で初めて製造・量産化した「マグネットポンプ」は、もともとはアメリカで製品化されたものでした。

しかし、われわれイワキによるMade in JAPANのマグネットポンプも、アメリカ製と同じ構造を持ち、かつ品質・価格ともに世界で勝負できるだけの製品に仕上がっているという自信があったので、この製品を持って、堂々とアメリカ市場進出を目指そうということになったのです!

当時の小型マグネッットポンプ

アメリカ市場への進出

話はアへマ初出展より数年前にさかのぼりますが、貿易部を新設して海外進出を目指していたイワキは、海外の業界雑誌に載っているポンプメーカーの中から、自社製品としてマグネットポンプを持たない会社を狙い、手紙での売り込みを開始していました。

1971(S46)年に渡米した藤中社長と樋口主任(当時)

その中で、遂に、米コネチカット州の「イースタン・インダストリーズ」という大手のポンプメーカーから、よい反応をいただくことができました。

何度か手紙のやり取りを交わした後、いよいよ大詰めの話し合いのために、貿易部主任の樋口は、社長の藤中(いずれも当時)と一緒にアメリカヘ飛び立つことになりました。

ちなみに、ファックスの普及はまだまだ先の話。この時代は、手紙でのやり取りがビジネスの生命線でした。地球の裏側ともリアルタイムでやり取りができる今日のビジネスシーンとは、かなり様子が違っていたわけですね。

この「イースタン・インダストリーズ社」から、イワキのマグネットポンプを自社ブランドとして販売したいという、かなり熱心なオファーをいただき、打ち合わせは同社から提出された契約書をたたき台として進められました。

当然のことながら、契約書は英文で作成してあったため、イワキ側では、翻訳するために契約書をいったん日本に持ち帰り、幾度かのやり取りの後、正式に契約が交わされることになりました。

こうして、イワキはイースタン・インダストリーズ社に「イースタン・イワキ」ブランドでマグネットポンプの供給を開始することが決定したのですが・・・この続きは次号のお楽しみということで。<つづく>

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