ポンプに賭けた男たち 第41話
広島で世界最大級の水理模型実験開始 「ケミード定量ポンプ」は瀬戸内海の水質を守れるか!? ~ その2 ~

残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

ポンプ単体でなく「定量ポンプシステム」として初めての受注

前回は、周辺で急激な重化学工業化が進んだ瀬戸内海の水質を守るべく、広島県呉市の中国工業試験所に建設予定の「大型水理模型」で使用するポンプとして、イワキの「ケミード定量ポンプ」に白羽の矢が立てられた・・・というお話をしました。

1972(昭和47)年2月に建設が開始されたこの実験場には、甲子園球場がすっぽり入るという大きさの建屋に、瀬戸内海の水面の面積を約7500平方メートルに縮小した瀬戸内海の模型がつくられるというのです。水平方向は実物の1/2000、垂直方向は1/160に縮小され、東の豊後水道、西の紀伊水道から淡路島、小豆島を含めた多数の島が再現されます。模型とはいえ、実験に使われる水量は約5000トンという、とんでもない大きさなのです。

前回も触れたとおり、模型の瀬戸内海に注ぎ込む大小73ある河口部分には、着色された水の入ったタンクが設置され、このタンクから流れる水の量は、実際の河川の流量に基づいてコントロールされるわけですが、そのコントロールのために「定量ポンプ」が必要だというご依頼でした。さらに、73カ所のポンプすべてを中央制御盤でコントロールするシステムも必要とされていました。

われわれは、ポンプだけの受注であれば、開発したばかりの「ケミード定量ポンプ」がよかろうと考えていましたが、契約には「定量ポンプシステム」として、プログラムによる流量自動制御タンクと配管工事が含まれていたのです。イワキにとっては、制御の仕事も設備工事も初めての経験でしたので、まずは仕様から検討しようと、この壮大な実験の目的に合うシステムをゼロから考えることにしました。

狂乱物価で難航した見積り作成

この受注が確定し、社内で業務分担化がされたのは、翌1973(昭和48)年9月のことでした。ポンプは当初の予想どおり、新開発の「ケミード定量ポンプ」が最適であると判断されました。大がかりな実験なので、73台のうち1台でもトラブルが発生すれば大損害になりかねません。その点、「ケミード定量ポンプ」は、自信の持てるポンプでした。また、それぞれ異なる流量を扱う定量ポンプの性能に合わせて、タンクの設計をすることも新しい課題となりました。

正直なところ、この見積り作成には、かなりの苦労が続きました。時はちょうどオイルショックの狂乱物価のなかであり、数力月の間、価格交渉と資材調達に走り回った結果、やっとの思いで仕様書をつくりあげ「瀬戸内海大型水理模型実験における河川流量制御システム仕様書」として提出することができました。ちなみに、このあまりに長い物件名は、イワキの社内では「中工試」と略して呼ばれることになりました。

1974(昭和49)年が明けるとすぐに、電気工事がはじまりました。この大きなプロジェクトを前にして、イワキ社員が緊張とやりがいに胸を高鳴らせたことは言うまでもありません。さらに、張り切っていたのはイワキの社員だけではありませんでした。代理店からも次々と応援にかけつけてくれたのです。その活躍ぶりには、大いに目を見張るものがあったようです。

そうこうするうちに2月に入ると、3台のポンプとタンクが搬入され、いよいよイワキの出番がやってきました。次々にポンプとの配線、モーター電源との配線、流量自動制御のサーボ制御盤とサーボ機構との配線を行い、あとはシステムの調整と流量測定を残すのみとなっていました。しかし、じつはそれからが、現場のイワキ技術部員にとって最も過酷な作業の始まりとなったのですが・・・この続きは次号のお楽しみということで。

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