残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

「技術センター」開設における3つの命題

前回までは、「瀬戸内海大型水理模型実験における河川流量制御システム」(社内では略して「中工試」と呼びました)において、イワキの技術部員たちがいかに奮闘したかをお伝えしてまいりました。1974(昭和49)年3月26日、この巨大な水理模型実験システムは遂に完成を見せたわけですが、このプロジェクトの成功は、イワキにとって大きな意味を持ちました。

また、同年にイワキ「埼玉工場」が、3年後の1977(昭和52)年には「三春工場」が完成し、その生産体制も盤石なものになっていきました。そして、「中工試」プロジェクトで新しいことをやり遂げたという自信と生産拠点の充実により、「今こそイワキの技術力を、より広く社会のために役立てるべきである!」という熱い思いがさらに高まっていくことになったのです。そのシンボルとして埼玉県入間郡三芳町に開設されたのが「技術センター」です。

完成当時の技術センター

技術センター

社内に新製品の開発に専念する部門を置くことは、当時社長であった藤中の念願でしたが、遂に「技術センター開設」の願いが叶ったのは、1982(昭和57)年5月のことでした。

藤中社長は技術センター開設にあたって、担当本部長に対して3つの命題を与えていました。

  1. 世の中にないものを開発する。
  2. 世の中にあって、イワキにないものを発展的に開発する。
  3. 世の中にもイワキにもあるものを、より発展的に改良する。

そしてその最大の目標は、将来的にイワキが機械(機構)式ポンプにおける電子回路技術をものにして、メカトロニクスのポンプを開発し、自社で製品化できるメーカーになることでした。

この努力が実り、イワキがメカトロニクス企業ヘと向かう足がかりとなったのは、電磁定量ポンプ「EP型」でした。これは、日本で最初に製造されたマイコン制御の定量ポンプでした。ちなみに電磁定量ポンプとは、ポンプの往復動を、モータではなく電磁石の吸引および着脱によって行い、それを電子回路で制御するポンプのことです。

電磁定量ポンプ EP型が2台並んでいる写真

電磁定量ポンプ EP型

人材確保と教育の日々

新技術をものにしようとするには、まずそのための人員が必要でした。しかし、1982(昭和57)年ころから景気が上向きとなり、大企業の人材採用が増えるようになったため、中小の企業は人材確保に苦労するようになっていました。

イワキにとっても同様で、とりわけ技術系学生の確保が難しくなっていました。そこで、技術センター長は総務部と協力し、技術系の人材確保に奔走しました。会社の熱意と誠意を理解してもらおうと各大学を訪れ、工学部の教授に面会し熱弁を奮いました。

「イワキはこんな会社です。こんな夢を持っています。責任を持って社員を育てますので、安心して任せてください!」

こうして自分のなかに大きな夢を持つ人材、また会社の夢に共感してくれる人材を求めて、ひたすら学校回りをしました。当時、藤中社長の方針で、なにより重視したのは、成績の良し悪しよりも本人のやる気だったようですが・・・この続きは次号のお楽しみということで。

再開した技術センターでの開発風景

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