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ポンプに賭けた男たち
進化していくことは、素晴らしい事ではありますが、忘れてはならない大切な事もたくさんあります。そこで、私たちイワキがどのような道を歩んできたのか、今いちど皆さまと一緒に追いかけて行こうと思っています。
株式会社イワキ40年史 1996年刊行
急速に発展する国際化社会、高度情報化社会の環境は、猛スピードで変化しています。とくに、インターネットなどの情報通信技術の発展は、ボーダレス化する企業活動を大きく揺さぶりはじめています。
このような潮流に対応し、イワキは世界をリードするポンプメーカーとして、イノベーション(技術革新)を起点に、グローバルで強固な経営体質を確立しなければなりません。
そのために、国際的ネットワークの積極的な基盤づくり、世界のカスタマー(顧客)ニーズを追求し、新素材を活用した世界をリードする製品開発の推進、ハードとソフトのテクノロジーを融合させ、多機能化した装置を創り出すことなど、イワキが今後進むべき道に向かって、たゆまぬ努力を続けているところです。
しかしわれわれにとって、未来を見つめることを同時に「過去を知ること」もまた、忘れてはならない大事なことであると考えているのです。
1956年(昭和31年)4月10日、株式会社イワキがこの世に誕生しました。社長は藤中義昭、27歳。2万5千円の元手でのスタートでした。最初は知人の事務所の一角を間借りしていましたが、その後、同じビルの一室を借りることができ、名実ともに一国一城の主となったのです。場所は神田の旭町でした。
ちなみに、福島県のいわき市とはまったくの無関係(笑)。後に福島県の三春に工場を建設したことから、福島県出身者かとたずねられることも多かったようですが、「イワキ」は藤中の造語だったのです。
かなり後になって、聖徳太子十七条憲法の「以和為貴(和を以て貴しとする)」に通ずると、嬉しいお世辞を言われたこともあったそうです。
イワキ創業者 藤中義昭
会社は理化学機器商社としてのスタートでしたが、お客様の要望があれば、理化学機器にこだわらず何でも手配をしました。ホウキ、バケツ、まだ一般家庭には普及していなかった白黒テレビや洗濯機を納品したこともありました。便利屋としてお客様につくすことで、可愛がられたのです。
ですので、創業当時から目が回るほどの忙しさでしたが、藤中は自分の会社だと思うと「いくらでもがんばれた」ようです。また「藤中さんなら後払いでもいい」と言ってくださる仕入先も多く、おかげで資金繰りにはずいぶんと助けられたといいます。
当時は、苦しいとも忙しいとも思わず、ただ無我夢中で過ごしていたわけですが、時には失敗してお客様から叱られることもありました。そうかと思えば、反対に可愛がってくれる人もいて、ある研究所では決算前に残った予算を「来期納品分の先渡しだ」と言ってポンと渡されたこともあったのだとか…。
またある時は、取引先の資材課長とその担当者に、送迎車つきで料亭に招待されたことなどもあり、まるで立場が逆で落ち着かないものの、ごちそうになりながら激励されて感激したという記憶もあるようです。お客様との信頼関係が大きくものをいう、古き良き時代の思い出です。
独立を果たした藤中には、次なる目標がありました。それは「メーカーになる」ことでした。最初は、商品を仕入れて、それをイワキブランドとして販売することから始まりましたが、次なる段階として、以前やっていたカバーグラスの製造や、試作機を手配した経験などをもとに、自社開発品に着手しはじめたのです。各種ガラス機器を組み合わせた水質試験装置やエハラブランドとして製造したジャーテスターも好評でした。気を良くして、続いてダイヤモンドカッターを作らせたものの、これはうまくいかなかったようです。そんな中、1959年(昭和34年)になると、イワキに最初の危機が訪れることになるのですが・・・
イワキ式B.O.D.測定装置(水質試験装置)
ジャーテスター
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