イワキ創業40周年の社史をもとに、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマをお伝えしていこうと思っています。

創業間もなく訪れた最大のピンチ

1956年(昭和31年)年4月10日、東京の下町・神田旭町で理化学機器商社としてスタートした株式会社イワキ。

次なるステップとして「メーカー」に成るべく、自社商品の開発が成功を納めかけた1959年(昭和34年)、早くも最初の危機に見舞われました。

予定していた大口顧客からの入金が遅れたために、資金繰りがおかしくなってしまったのです。
仕入れ先に支払いの延期を頼もうにも、それまでにもかなり無理をお願いしていたので、今後の取引きに差し支えるおそれがありました。

そこで、当時取引きのあった銀行にかけ込んで、営業時間後まで懸命に頼みこんでみたのですが、これも駄目。

いよいよ翌朝までに資金を都合できなければ不渡りを出すことになってしまいます。

1959年(昭和34年)当時の世相
重大ニュース
伊勢湾台風 / 皇太子と正田美智子様がご成婚
物価
【郵便】外国郵便 書状30円、はがき20円
【新聞購読料】朝日新聞朝夕刊セット月決め390円
【家電製品】14型白黒テレビ 50,000円前後
【所得】勤労者所帯の月平均定期収入 25,247円
【固定相場】1ドル=360円
新商品 / 新番組
ブルーバード(日産自動車)685,000円
エレクトーン(日本楽器/現ヤマハ)350,000円
少年サンデー(小学館)30円
少年マガジン(講談社)40円
流行語
カミナリ族 / タフガイ / トランジスタグラマー

「これまでの苦労が水の泡になる。それよりなにより、取引先の皆さんにご迷惑だけはかけたくない…。」

独り言のようにつぶやいた社長の藤中は、一人途方にくれていました。

しかし、このまま絶望感に浸っているわけにはいきません。
渾身の力を振り絞り、藁をもつかむ思いで、知人を訪ね歩くことにしました。

何人にも断られ、最後に飛び込んだのが、ある老舗の理化学機器販売会社でした。
あいにく社長は不在で、しばらく針のムシロに座らされる思いで社長を待った藤中でした。
しかし、ほどなく帰宅した社長は、意外にも不足分の150万円をポンと用立ててくれたのです。

「助かった!これでなんとか切り抜けられる!!!」

気がつくと、思わず社長に向かって手を合わせていました。

この援助がなければ、現在のイワキはなかった…というくらいの最初にして最大のピンチでした。

この時力を貸してもらえたのは、日ごろから信用第一で励んでいたことが認められたのだと心から感謝しました。
人間にはいつ何が起こるかわからないのですから「日ごろから、まわりの方々に信用されるように努力することが結局は自分をも救うことになる」と改めて肝に銘じた藤中の決意は、今もイワキの中で脈々と受け継がれています。

メーカーへの第1歩

こうして再び、商社からメーカーに脱皮するためのチャレンジを繰り返すことになったのですが、当時(1950年代半ば頃)研究室などでは、新しい分析方法として、溶媒抽出法がさかんに用いられるようになっていました。
シェーカーという理化学機器が登場したのです。

シェーカーとは、分液ロート、フラスコを機械的に振とうし、試料を混合する機器です。

それまでは試料の混合を人の手でやっていたのですが、個人差もあり、たとえ同じ人間がやったとしても、必ずしも同じ状態で混合できるとは限りません。

そこで、分液ロートやフラスコ、もしくは試験管に試料を入れてセットすれば、複数の試料を同時に同じ状態で振り混ぜてくれるシェーカーという機械が広く使われるようになったのです。

イワキでは、これまで他社メーカーの販売特約店として、同製品を扱っていました。

しかし、納期遅れなどの様々なトラブルが起こり始めてしまいました。

そんな中でもお客様からの注文は続々と来る。
そこでイワキではシェーカーを新しく自社で開発しようということになったのですが・・・

 

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