イワキ創業40周年の社史をもとに、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

イワキ営業マンの血がかよった「営業部 部則」誕生

1964(昭和39)年、弱冠29歳の上條を営業統括に抜擢し、日本中に「ケミカルポンプ」を広めようと必死になっていたイワキ。連日のように、上條以下20名の営業部員全員によるブレーンストーミングが行われました。

時には熱い議論を戦わせることもありましたが、互いに腹を割って話し合ううちに、それぞれの経験や新たな決意が整理され、それらが自然と織り成され、「営業部 部則」として形づくられていきました。

決して上からの押しつけではなく、単なる標語の寄せ集めでもなく、そこには間違いなくイワキ営業マンの血がかよっていました。そして、営業を統括する立場の上條も、そこを大いに気に入っていました。

全員がイワキの未来を信じ、イワキの発展のために力を合わせて頑張ろうという勢いが感じられる部則。この「営業部 部則」を中心に、個の力が集結し、イワキには「組織の力」が生まれつつあったのです。

ちなみにこの部則は、今現在も月初の朝礼にて全員で唱和しています。

「積極性、責任感、計画性、協調性、創意工夫」は、イワキの中に脈々と受け継がれているのです。

独自の方法で販売網を確立

これまでのイワキの営業は、直接販売が中心でした。
展示会で行ったアンケートを頼りに次々と会社を訪問する…それ以外はまったくの飛び込み営業で販路を拡大していったのです。

当時、飛び込み営業担当の社員は「煙突か下水があれば,みんなポンプのお客様なんだからどんどん売り込もう!」と言われ、町に飛び出していきました。
しかし、そのやり方では東京近辺の会社を攻めるのが精一杯でした。

東海道新幹線の開通まではまだ数年を待たねばならない頃でしたから、夜行列車を使った名古屋出張で7時間、大阪出張では10時間かかる時代のことです。

上條は、この販売網をもっと広げるためにどうしたらよいかを必死に考えました。
そして、まず競合他社の販売体制を調べることから始めたのです。
学生時代は自他ともに認める勉強ぎらいでしたが(笑)、こういうときの上條はとても緻密でした。

大胆な目標を掲げる一方で、緻密な調査を重ね、実行には細心の配慮をしたのです。
そのための勉強はまったく苦にならなかったと言いますが・・・

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