イワキ創業40周年の社史をもとに、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

台湾への輸出はじまる

1967年(昭和42年)、貿易部が誕生し、文字通り“ケミカルポンプ世界一”を目指すことになったイワキ。そんな中、取引先開拓を一手に任されたのは、入社3年目の樋口でした。まずは大手商社と契約するのがてっとり早いだろうと、丸紅や三井物産クラスの大手商社を訪問することから始めたものの、結果は思わしくありません。

大手が駄目ならと、今度は「小規模で機械を扱っている商社」に狙いをしぼり、あちこち探した結果, ようやく商社Aと取引きが決まりました。
その商社Aを通じて台湾への輸出が始まったのは、1968(昭和43年)のことでした。

商社Bとの直取り引き

その後、台湾内でポンプ販売をしていた商社Bの社長が、ケミカルポンプは将来性が有望であると信じており、しばらくすると、できればイワキと直に取り引きしたいと言ってきたのです。

樋口は、商社Bの直接取引きのことを、社長の藤中と次長の上條(いずれも当時)に話しました。樋口自身も、できればそうしたいと願っていましたが、
「そんなこと言ったって、いったい誰がやるんだ。自分がやる自信があるのか?」
と、上條に言われたときは、一瞬ひるまずにはいられませんでした。
しかし、正直なところ、樋口には「やれるかもしれない」という程度の自信はあったようです。

「できると思います。いろいろ勉強させてもらいましたから、だいたいのことは分かっているつもりです。ただ、できれば上司として経験者をつけてほしいのです」
これを聞いた上條は樋口を一喝しました。
「どこにそんな人間がいるんだ。やりたいなら自分で勝手にやれ。おまえが将来その部門でトップに立ちたいのなら、自分でやらなければだめだ。いま上に人をつけたりしたらお前は一生トップになれないぞ!」よくよく考えれば、それはありがたい叱咤激励でした。

しかし、そうとなれば、まず商社Aに筋を通さなければなりません。この一番嫌な役目は上條が引き受けてくれました。へんな駆け引きの嫌いな上條は、樋口に同行して同社に赴き、いつもの調子でたたみかけ、話をつけてくれたのです。

こうして商社Bとの直取り引きが始まり、世界進出への足ががりとして、まずは台湾でのビジネスが拡大していくわけですが・・・
この続きは次号のお楽しみということで。

台湾でのキャラバンセールス。中央が樋口(1969年・昭和44年)

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