残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

思い立ったら即行動のイワキマン

前回はイワキにとって2 番目の現地法人となる「イワキ・ヨーロッパ 」設立のお話をしました。それは1985(昭和60)年10月のことでしたが、今回のお話は、その2年前、つまり1983(昭和58)年のアメリカへと舞台を移します。

初代のアメリカ駐在所長を務めた板東建は、スーツケース2個、ダンボール 5 個と一緒にニューヨークへと向かいました。 前年の秋、イワキ九州営業所勤務だった板東は上司に呼ばれ、イワキがアメリカに駐在員事務所を設置すること、そして、そのための駐在員候補を探していることを聞かされました。板東は、1968 (昭和43)年の入社以来、ずっと海外部配属を希望していたので、従来のイワキのやり方からいけば「すぐ行け!」となって当然でしたが、彼にはすでに家族がおり、小学生の子どもが2人いる身であったため、会社側もまず「打診」というかたちで問いかけたのでした。

しかし、これに対する板東の返答は素早く、なんと!その場でアメリカ駐在員を志願したのです。過去に海外生活の経験があるわけでもなく、英会話とて学生時代に学んだ程度でした が、海外部で働くことは板東の長年の夢でしたので、家族も理解してくれて、板東は駐在員事務所立ち上げのため,ひとり ニューヨークへと旅立ったのでありました。

飛び立つ飛行機の画像

ニューヨークを「自転車」で事務所探し!?

ニューヨークでは、安いホテルに泊まって毎日「自転車」で不動産屋回りをしました。クレジットカードを持っていなかった板東は、レンタカーが借りられなかったのです。1983年当時、まだ日本では「クレジットカード = 身分証明」という意識が一般的ではなかったため、板東はカードを持たずに渡米してしまったのでありました。

毎日毎日、アタッシュケースに2,000ドル近い現金を入れ、自転車をこいで、住居兼事務所になる場所を探し続けましたが、ようやくニュージャージーによい場所を見つけたのは、渡米45日後のことでした。

家探しのイメージ

果たして、ここで無事に事務所開設に至ったのかどうか・・・この続きは次号のお楽しみということで。

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