残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

技術は人なり ~目的のために必死になれる人材を求めて~

前回は、1982(昭和57)年5月、イワキ念願の「技術センター」が埼玉県入間郡三芳町に開設された当時のお話をしました。

技術センター

1982年 技術センターの初期メンバー

センター開設後、まず新技術をものにするための人員が必要ということで、当時の責任者は総務部と協力し、技術系の人材確保に奔走しました。各大学を訪れ、理工系の教授に面会し熱弁を奮うなど、イワキの夢に共感してくれる人材を求めて、ひたすら学校回りをする日々が続きました。

人材の採用にあたっては、前社長の藤中の方針で、なにより重視したのが成績の良し悪しよりも本人のやる気でした。

「学校は知識を身につける場であり、世の中で活躍するには、知恵が必要である」

「やる気のある人間なら、自分の目標を達成するために何が必要か、自分でわかって勉強するはずだ。目標のために必死になれる人間こそ、イワキが求めている人材なのだ!」

これらは常日頃からの前社長の言葉ですが、じつにイワキらしいエピソードではないでしょうか。

こうして技術センターでは、毎年3~4人ずつの計画で増員を図っていきました。また、イワキに適した人材がいれば採用枠を無視し、ときには10人近い採用を行う年もありました。

そして、採用した人材の育成も忘れませんでした。機械工学出身者であれば電子工学を学ばせるため電子専門学校の夜間部へ通わせ、電子工学出身者であれば機械工学のセミナーに通わせるなど、技術センターの社員を徹底的に学ばせました。

この人材育成により、「何に対しても前向きに、創造性・独自性をもって、最後まで諦めない」行動姿勢を、技術センターの社員は自然に会得していきました。イワキがメカトロニクス技術を持ったケミカルポンプメーカーヘの変貌を期してからその努力が花開くまでには、ほぼ10年の歳月が必要でした。

メカトロニクス企業を目指し「電磁定量ポンプ」の開発に奮闘!

イワキにとって、メカトロニクスの幕開けの象徴は「電磁定量ポンプ」でした。技術センター開設の2年前に当たる1980(昭和55)年から、イワキは電磁定量ポンプを製造していたのですが、正直この製品は納得のいくものではありませんでした。

当時の電磁定量ポンプEP型はオイルバス方式といい、電磁石の放熱性を高めるために潤滑オイルを使うタイプでした。しかし、オイルバス方式は、長時間の使用でオイル漏れを起こす場合がありました。

電磁定量ポンプ EP型

電磁定量ポンプ EP型

その問題を解決しようと、オイルを使わず空冷で動かすタイプに改良したのが、1986(昭和61)年に発売になったEXシリーズです。マイコン制御の定量ポンプの開発に成功したのは、それまでイワキを含め世界で2社だけでした。

しかし、そこに新たに欧州の競合が参入してきたのです。イワキのEXシリーズは、コストの面での競争力が弱くなったEPの代替として、海外、特にヨーロッパ市場にと考えていたのですが、その目標は達し得ませんでした。

残念な結果ではありましたが、じつはその間、イワキではまったく新しいコンセプトの「電磁ポンプ」の開発が進められていたのです。・・・気になるこの続きは次号のお楽しみということで。

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