残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマを、お伝えしていきます。

開発より苦労した現場監督稼業

前回は、公益財団法人海洋生物環境研究所(通称「海生研[かいせいけん]」)から持ち込まれた大プロ ジェクトを受注したというお話をしました。1989(平成元)年のことでしたが、イワキ は、温海水の層、淡水の層、海水の層を試験的に作り出し、その中で魚の行動を観察・測定する大プロジェクトのための「実験装置」をつくることになったのです。

その装置には「遡河性稚魚等温度反応試験装置」という長い名前がついていましたが、水槽内の魚の動きを CCD カメラで追い、その位置を数値に変換してのデータ検証も行いました。魚がどんな動きをしても、また動かなくても魚だと認識できるようにするためには、専用のソフトを組まなければならず、そこには想像以上の苦労が待っていたわけですが、その他にも水槽の曇りや季節の温度変化で海水のシールができなくなったために水漏れするなど、予想もできない問題が次から次へと起こりました。

しかし、開発よりもむしろ苦労したのが「現場監督稼業」でした。現場に出向いて働く技術者にとって思いもかけなかったのが、設備・施工の工事管理の難しさだったのです。技術者からいきなり現場監督になったわけで、自分たちより年配の作業者に対し、上手に指示を出すにはどうしたらよいか、また、いわば寄せ集めの人たちにチームとして働いてもらうには何をしたらよいのかなど、人を使うこと、人間関係の難しさを思い知らされ、人知れない苦労の日々を送ることになりました。

ですが、その反面でイワキの技術者の団結力には強いものがありました。プロジェクト が進行するにつれ、同部署の新人 2 人を含む 8 人がほぼフルタイムでこのプロジェクトにかかりきりになりましたが、残る 1 人は社内の業務をかたづけながら、休みになれば現地へ応援にかけつけるという日々でした。

やがて冬が訪れると海沿いの現場の寒さは厳しく、そこでの作業は決して楽なものではありませんでしたが、工場から陣中見舞いに来た部長が、地元で手に入れた海の幸をふんだんに使ってけんちん汁をつくってくれたこともありました。その大鍋を囲みつつ、皆で苦労を共にしながら目的に向かっていることを確認し合うことで、チームワークをー層強固なものにしていったのです。

「海生研」に携わった技術センターのメンバー

越えるべきハードルだった「海生研」

「概念設計」から 2 年目の 1991(平成 3)年、「海生研」の実験装置、設備工場が終了し、本格運転を開始、ようやく立ち上げを迎えました。しかし、計測結果がどうしても整合せず、先の見えない日々が続いていました。

今の時代であれば、AI などの最先端技術を駆使したいところですが、当時の我々は「人間の頭脳」に頼るしかありません。そこで、問題解決のために白羽の矢を立てたのが「計測装置のプロ」ともいうべき人物でした。

当時はまだ、某有名企業に籍を置いていらっしゃいましたが、この経験豊かな技術者をイワキの技術顧間としてお迎えし、「海生研」の現場へも、新たに参加してくれることになったのです。

それから 3 カ月後、3 年間にわたった「海生研」のプロジェクトは無事に研究所に引き渡されることになりました。初めての経験ゆえに苦労の絶えない 3 年間ではありましたが、この「海生研」の経験で、イワキはポンプ単体だけでなく、コントロールシステムとその装置周辺設備、それもかなり大がかりなものまで対応できる実力をつけたのは確かです。

発売当初のシステム製品群

海生研に納入された装置で活躍する「ケミカルギヤポンプ群」

そればかりでなく、イワキの技術レベルが具体的に評価されることにもなりました。イワキが採算を度外視しても、このプロジェクトを受けようと決心した裏には「この装置の完成はイワキの大きなステップとなる」という確信があったのかもしれません。

そして、そのねらいどおり、温度制御のコントローラからはじまったポンプコントロールシステムは、さらなる新市場進出への足がかりとなっていくのですが・・・気になるこの続きは次号のお楽しみということで。

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