残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマをお伝えしておりますが、前回までの【技術開発編】に続き、今回からはイワキ創業者である藤中義昭の人生を振り返ってみたいと思います。

じつは昨年(2019年)8月4日、藤中義昭は人生の幕を下ろしました。享年90歳でした。藤中義昭がポンプに賭けたその熱き想いを後世に残すべく、【ポンプに賭けた男たち ~創業者編~】スタートです!

誕生から幼少期まで ~医者の一人息子として広島で育つ~

1928(昭和3)年、藤中義昭は広島に生を受けました。医師をしていた父親は人望の厚い人だったらしく、親類縁者はもとより無縁の学生までが出入りして、いつも賑やかな家で幼少期を過ごしました。なかでも最も親しく交遊を結んだのが従兄弟でした。家には姉と妹ばかりで男兄弟がいなかったので、従兄弟は時として兄であり、気持ちの通じ合える一番の親友でもありました。

父親は鳥を飼うのが趣味でした。唯一の道楽だったからなのか、並大抵の凝り方ではなかったようで、家の屋外・屋内に数百羽もの鳥がいました。屋外には錦鶏鳥、銀鶏鳥、クジャクが、鳥小屋には当時まだ珍しかったインコやカナリヤが何種類もおり、もうひとつの小屋には70~ 80羽の伝書鳩が飼われていました。それらの世話が義昭の日課でした。なにしろ数が数ですから大人でもひと仕事。全部の鳥に餌をやり、水を替え、伝書鳩にいたっては1日1回必ず空に放し、また小屋に戻さなければなりません。当時は、かなり忙しい思いをしながら毎日を過ごしていました。

その父から「医者を継げ」と言われたことはありませんでした。医者という職業は、急病患者が出れば食事中であろうと夜中であろうと出かけなければなりませんし、医は仁術といわれるままに、診察料や薬代もあまり高く取らないでいると、外からは誉められるものの、生活は不規則・不摂生になってしまうからです。父親は、医者よりも薬剤師になるようすすめたようです。

1941(昭和16)年 太平洋戦争勃発 ~父の死と戦局の悪化~

太平洋戦争が勃発したのは、義昭が13歳のときでした。緒戦の勝利に国中が湧いていましたが、インテリ層の一部には軍の発表を冷静に受け止め、この戦争に懐疑的な者もいました。父もその1人で、アメリカのような国と戦って勝てるわけがないと親しい人には公言していたようです。1年2年と経つうちに戦局は厳しくなり、一般市民はそのことを知らされずにいましたが、生活には少しずつ戦争が影を落としはじめていました。

それから少し経つと、なぜか庭の5本の桜のうち3本が次々と枯れていきました。毎年春になると美しい花を咲かせ、みんなを楽しませてくれていた桜の木です。あたかもそれが予告であったかのように、まもなく父があっけなく世を去りました。1943(昭和18)年、まだ52歳の若さでした。しかも、不思議というか因縁というか、頼りにする身内の長老たちまでもが、父の後を追うように相次いで亡くなりました。

父親が他界した1943年は、国民勤労報国協力令改正により、中等学校以上の男女は農村や工場へ学徒動員として勤労奉仕にかりだされた年でした。そして翌年には、動員先が軍需工場や強制疎開工事へ変わっていったのです。当然のように勉学は放棄させられ、若者たちはみな、学力の低下に悩みながらも、工場で旋盤をまわしたり、魚雷を組み立てたりするなど、現場の経験を積んでいったのでした。

1945(昭和20)年8月6日の朝に起こったこと

1944(昭和19)年に入ると、米軍機による本土への空襲がひんぱん、且つ激しさを増してきました。爆撃は軍事施設や軍需工場、輸送機関などにとどまらず、木造家屋の密集する都市も焼夷弾の標的となっていきました。日本の主な都市のほとんどは、この無差別で非人道的な空襲に遭い、焼夷弾で爆撃されましたが、京都・奈良・広島・長崎は無事でした。市民のなかには、広島が爆撃を受けないのにはわけがあるのだと、まことしやかにささやく者もいたようです。

それから約1年半が過ぎた1945(昭和20)年8月6日朝。義昭は軍需工場だった3階建ての建物の最上階にいました。空襲警報が発せられたものの、毎日のように上空に現れては偵察だけで去っていくのを知っていたので、その朝も避難しようとする人はいませんでした。義昭も3階の窓から、B29が高々度で飛行機雲を引き、偵察しているのを見上げてから席へと戻りました。

その直後「ピカッ」と空全体に閃光が走ったのです! それは巨大なストロボをたいたかのような、強く、目のくらむような光でした。そして、大地をゆるがす「ドン」というさく裂音。何が起こったのか、義昭はまったく分かりませんでした・・・それからどのくらいの時間が経ったのか、ようやく我に返って周囲を見渡すと、3階の屋根は吹き飛び、1階はペシャンコに潰れ、3階建てだった建物は、2階の高さになっていたのですが・・・この続きはまた次回にいたしましょう。

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