残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。
文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマをお伝えしてきましたが、「第54話」からは、一昨年(2019年)他界したイワキ創業者である藤中義昭の人生を振り返っております。

>>> (第59話)【創業者編】藤中義昭が「理化学機器」の営業職時代に得た財産

 販売から製造へと興味を広げる

前回は、義昭が理化学機器商社のセールスマンをしていた時代のお話をしました。営業途中の道筋にある新しい会社や大学、官庁筋の研究所などを訪れ、そこでの出会いを貴重な“財産”へと変えていく日々でした。そんな中、「ケミカルポンプ」と運命的に出会う日がやってきます。「ケミカルポンプ」という言葉は、まだ使われていない時代のことでした。

樹脂を使ったケミカルポンプと初対面を果たしたのは、とある金属メーカーの研究所でした。トリウムの精製装置で溶媒抽出用として「ベローズポンプ」が作動していたのです。それはポリエチレンの折りたたみ水筒を使って作られた樹脂のケミカルポンプで、とある製作所がお客様の要望に応えて作った優れたものでした。

その製造所のトップは、知識やアイディアに器用さも兼ね備えた職人肌の人でした。彼は理化学機器の実験用試作機などが得意で、実用新案の登録も多く、独自の製品も持っており、まさに技術者として尊敬できる人物でした。その方から、ものを作るための技術や工夫を学ばせていただいたことで、義昭の中にも、そこからだんだんと作る側への興味が芽生え、高まっていきました。

それ以外にも、メーカーの強さを実感する出来事がありました。あるメーカーの独自の製品を電話で注文したときのこと。相手は注文の電話に向かってこう言いました。

「配達はしませんよ。支払い? もちろん現金です。割引は一切しません!」

あまりの強い態度に、腹を立てるよりも、よい製品を作るメーカーならこんなにも堂々と商売ができるのだと感心したものです。なにもいばることはないですが、メーカーはお客様の要望を満たすよい製品を提供することで、正々堂々と商売ができることをはっきり認識した瞬間でした。

ポンプに出会い限りない可能性を見出す

その頃の取引先に、1956(昭和31)年に設立されたとある会社がありました。その会社は、わが国最初の汎用ポンプメーカーと米国の水処理会社とのジョイント・ベンチャーで、当時は「公害防止装置」とも呼ばれていた水処理装置のメーカーでした。

あるとき同社を訪れ、研究室の方の説明を聞く機会に恵まれました。彼は水質分析の権威ある博士で、客先から依頼を受けて排水の水質を分析し、それを無害の水にもどすには、どの処理剤を使い、どういう処理方法をとればよいかの判定をされていました。

分析するためには、まず水質試験器を備えなければなりません。サンプリングした試料を数個のビーカージャーに入れて水質試験器でテストをするわけですが、一定の時間に同じ条件のもとかくはん棒で回転数を可変しながら、水のpH値、硬度や濁度などを分析するのです。

まもなくすると同社から、水質試験器と4連式のジャーテスターを製造してほしいという依頼を受けました。水質試験器は木箱にコンパクトに収めて携帯型にし、ジャーテスターはケミカルポンプとの出会いのきっかけとなってくれた製作所に試作を依頼して、ユニークな使いやすい型にしました。

幸いよい製品ができ、完成した製品は同社内で使用されるだけでなく、オリジナルブランドとして販売したいという話までいただだきました。1ロット当たり20台単位で定期的に受注をいただくという、数量のまとまらない理化学機器としては画期的な安定受注製品となり、おおいに助けられたものです。その話のなかで「処理装置には多くのポンプが使用されている」というくだりを聞いて、義昭はハタと膝を打ちました。「これだ!!!」・・・出会うべくして出会ったとしか思えない出来事でした。

独立の機が満ちて

義昭自身も研究所に営業していくなかで、「小型ケミカルポンプ」に一定の需要があることを感じ取っていました。薬品を送ることができて、しかも研究用装置に使える小型のポンプを求める声は多かったのです。ただ理化学機器としてのケミカルポンプが注文数としてまとまることはレアケースでした。しかし、研究装置向けから産業装置用にまで広がっていけば、ケミカルポンプの需要は無限とも言えます。汎用ポンプメーカーが扱っているのは大型ポンプだけ。日本に小型ポンプ専門のメーカーはまだありません。「自分がそれをやるのだ!」いつしか、義昭は心を決めていました。

理化学機器の会社に勤務して、早5年余りが経っていました。初めての営業を自分なりの工夫でこなし、理化学機器の知識を得たうえで、運命的に「ケミカルポンプ」と出会ってしまったのです!

得意先にも仕入先にも信頼されるようになったのは、誠意を旨として努力してきたからに違いありません。この5年余り、厳しい労働条件下で休みもろくにとらずに働き、ほとんど毎日が残業でした。苦しかったこともありましたが、いつか独立しようという夢に支えられて頑張ってきたわけです。当時の状況を言えば、一般に理化学機器業界の労働条件は、給与面でもそれ以外でもかなり厳しいものでした。それでも勤続年数が長くなり、会社への貢献度が増せば、お得意先を分けてもらって、いわゆる「のれん分け」して独立するというのが昔からのやり方でした。義昭にとってのれん分けはまだ先の先でしたが、自分では「もう独立してやっていける」という確信があったのです。

お得意先の励ましに感激

独立のことを相談すると、どの得意先もみな口をそろえて励ましてくれました。

「藤中さん、それはいいことだ。応援するから頑張りなさい」

それは、涙が出るほどありがたい言葉でした。今まで自分が精一杯やってきたことが認められていたのです。なによりの励ましの言葉となりました。

仕入れ先からも、

「藤中さんがやるなら応援しよう。なんなら後払いで商品を出すことも考えるよ」

この言葉に大いに励まされ、勇気づけられました。

そこで、意を決して勤務先の社長に独立の話をしました。最初こそしぶった社長でしたが、

「藤中さんは、うちみたいな会社で終わる人じゃないね」

と言って、最後には了解してくれました。

資金は自分で貯めた2万5千円だけでしたが、事務所を間借りするあてはありました。他に持ち合わせていたのは、27歳という若さと、5年間の営業で身につけたスキルと情報、そしてお客様の信用という無形の財産ばかりでした。

思えば20歳のとき、大阪で偶然「ガラス製造」の仕事と出会いました。その後は、進むべき道を進んできたという確信がありました。その間多くの方々のお世話になり、その一人ひとりを懐かしく思い起こしました。自分のために、そして応援してくれたお客様のためにも、「これまで以上に頑張ってやるぞ!」と深く心に誓った義昭でありました。

ポンプに賭けた男たち「創業編」完

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