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ポンプに賭けた男たち
残された社史に基づき、イワキの歴史を紐解いていくこのコーナー。文字通り「ポンプに賭けた」男たちの熱いドラマをお伝えしてまいりましたが、第60話までの創業者編に続き、前回からは【レイシー編】として、水生生物や環境研究分野におけるイワキのブランド「レイシー」の歴史を紐解いております。
>>>(第61話)“町の発明家” とイワキのケミカルポンプの運命的な出会い
前回は、イワキがケミカルポンプに運命を託した1964 (昭和39)年前後、とある“町の発明家”と運命の出会いを果たしたというお話をしました。
それは、海水魚店を営む山本氏という人物でしたが、海水魚飼育のノウハウというソフトのほかに、飼育用の装置や機器などのハード面にたいへん興味を持っておられ、既製品を自分で改良するのはもちろんのこと、さらに大がかりな工作までをこなしてしまう方でした。
そんな山本氏のお眼鏡(めがね)にかなったのが、イワキのVLP型ポンプでした。海水魚水槽のろ過装置用ポンプとして、非常に興味を持っていただけたのです。
当時、原色に近い色鮮やかな熱帯性海水魚の飼育が趣味として流行し始めていましたが、いざ始めてみると、海水魚の飼育というのは意外と手のかかるものです。中でもとりわけ重要なのは、「水槽の水を常にきれいに保つ」という手間がかかる作業でした。
そのために「水槽のろ過装置」は欠かせないものであり、山本氏が「槽外ろ過方式」という、従来とはまったく別の発想でろ過装置を開発するに至るわけですが、そのアイデアを現実のものとして可能とした立役者こそが、小型で耐食性に優れたイワキの縦型ポンプ「VLP-15」だったのです。
このまったく新しいろ過装置を考案し「これはいける!」と感じた山本氏は、ポンプメーカーであるイワキに相談を持ち込みました。当時社長であったイワキ創業者の藤中も、その話を聞くや否や、すぐに興味を持ちました。
まだイワキ自身が駆け出しの時代であったにもかかわらず、観賞魚の飼育装置向けケミカルポンプというアイデアは藤中を引きつけ、すぐさまこれをひとつの事業とすることを決めました。ただし、ケミカルポンプのイワキが分野も顧客もまったく異なる観賞魚業界に参入しては、今までのお客様も、またイワキの社員も混乱すると考えて別会社を設立することにしたのでした。
こうして、1965(昭和40)年8月、株式会社レイシーが誕生しました。
新会社の命名についてイワキ創業者の藤中は、当時テレビで流行っていたものをヒントにいろいろと考えてみたようです。そして、プラッシー(清涼飲料水)やハイシー(ビタミン剤)など、「○○シー」という名前が流行っているらしいことに気がつき、その路線でアイデアを膨らませていきました。
レイは冷却の「冷」、海底の冷たい水のイメージもありました。「レイシー」・・・口に出してみるとなかなか語感もいい・・・こうして、無事に会社の名前が決まりました。
株式会社レイシーの設立メンバーは、営業担当は山田(後にイワキ常務取締役)、そして経理担当の金池を含めて4名でした。会社の所在地は、当時イワキが分室として使用していた木造ビルの一角でありました。
しかしこの時、レイシー最初の営業マンに任命された山田は、かなり戸惑ったと言います。レイシー設立のいきさつは何となく聞いてはいたものの、自分とは関係ないと決め込んでいたところへ、いきなり出向を命じられたのですから、動揺するのも当然です。
ケミカルポンプの営業マンとしてようやく一本立ちをし、「さあこれからどんどんポンプを売ってやるぞ!」とばかり意気込んでいた矢先、ひとり出向を命ぜられ、「なぜ俺だけが?」と、仲間外れにされたような気持になったりもしたようです。
一方、悩む山田をよそに、藤中は着々と準備を進めていきました。レイシー設立に合わせてVLP型の改良版である縦型ポンプP型の開発に着手したほか、水槽まわりの飼育器の販売準備も始めました。
さらに、技術担当として水産大学出身の青木を1996(昭和41)年に採用するなどして、技術基盤も同時に整えていったわけですが・・・この続きはまた次回にいたしましょう。
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